

2026.01.09
みなさん、こんにちは!
1日遅れの更新となり、申し訳ございません。
今日は【人はなぜ「ちゃんとしているふり」をしてしまうのか】というテーマにてお話しします。
日常の中で、ふと「自分は今、ちゃんとしているように振る舞っているな」と感じる瞬間はありませんか?
▼問題なくこなしている
▼求められている反応は返している
▼大人としては正しい
でもどこかで、「自分の感覚と行動が噛み合っていない。」という感覚がある。
この状態は、特別な人だけに起きるものではありません。
むしろ、多くの人がとても自然に通過していく段階です。
私たちが言う「ちゃんとしている」という言葉は、実はとても曖昧です。
多くの場合それは、「自分がどう感じているか」ではなく、「その場で期待されている役割に、うまく当てはまっているか」を指しています。
社会の中では
▼落ち着いている
▼前向き
▼問題を起こさない
▼空気を乱さない
そうした振る舞いが、ちゃんとしていると評価されやすい。
その評価に慣れていくと、
自分の感覚よりも、役割の正解を優先するようになります。
ちゃんとしているふりが始まるのは、嘘をつこうとしたときではありません。
多くの場合は
「今はこう振る舞ったほうがいい」
「ここではこれを言うべき」
と判断した積み重ねの先にあります。
一つひとつは合理的で、間違っていない。
でも、感覚を確認する前に役割を選び続けると、次第に、自分が何を感じているのかが後回しになります。
その結果
▼間違っていないのに、しっくりこない
▼問題ないはずなのに、どこか疲れる
という状態が生まれます。
ちゃんとしている人は、自分の違和感を表に出すのが上手ではありません。
なぜなら
▼困っているように見えない
▼ちゃんとできている
▼期待に応えている
そう見られている自分と、違和感を抱えている自分のあいだに、「ズレ」があるからです。
このズレは、弱音を吐きづらくし、立ち止まることを難しくします。
だからこそ、ちゃんとしている人ほど、
ある日ふと「何がしんどいのかわからない」という感覚に包まれることがあります。
「ちゃんとしているふりをやめる」というと、
▼投げ出す
▼無責任になる
▼崩れる
そんなイメージを持つかもしれません。
でも実際には「役割と感覚の距離を、少し近づける」という意味に近いです。
「ちゃんとするか、しないか」ではなく、「今の自分の感覚を、どれくらい無視しているか」に気づくこと。
それだけで、内側の負荷は変わってきます。
「ちゃんとしているふり」は、誰かを欺くためのものではありません。
多くの場合
▼うまくやろうとした結果
▼期待に応え続けた結果
身についた振る舞いです。
だから、責める必要はない。
でももし、
▼ちゃんとしているのに疲れる
▼問題ないのに違和感がある
そう感じたときは、
それは「壊れるサイン」ではなく、「感覚を取り戻すタイミング」なのかもしれません。
役割を下ろす必要はないです。
ただ一度、その下にいる自分の感覚を静かに確認してみるだけで違うと思います。
それだけで、「ちゃんとしている自分」と「ちゃんと生きている自分」の距離は、少し縮まっていきます。
新年こそ、新しい意識を持って生活をスタートさせるといいですね!