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バカにされてばかりの人生「変えたい」…バンデージ職人15年、ボクサー「圧倒的な信頼感」

2023.01.12

[今もどこかで]拳を守る

 リングの真ん中で勝ち名乗りを受け、プロボクサーの田中恒成選手(27)が右腕を突き上げた。昨年12月11日、名古屋市のアリーナ。控室に戻ると、グラブを外した拳を見せながら言った。「全然痛くないっす」

その言葉を聞き、ホッとした表情でうなずいたのは永末貴之さん(41)。選手の拳を守るため、テーピングと包帯を使って作る「バンデージ」の職人だ。

3時間前、2人は控室で向き合っていた。ハードパンチャーで、試合で拳を痛めたこともある田中選手。両拳の状態を確認した永末さんは、数十種類の中から選んだ包帯を田中選手の左手に巻き始めた。

 衝撃を逃がすため、部位によって厚みや包帯の種類を変える。選手の好み、試合の戦略、利き手……。頭にたたき込んだ情報を基に巻き方も変更する。

 「5ミリずれると感触が全く変わる」という繊細な作業を続けること30分。仕上げた頃には、額に汗がにじんだ。

 元世界3階級王者で、チャンピオンへの返り咲きを目指す田中選手は、永末さんに頼む理由をこう話す。「巻いてもらうと、ほかの人とこんなに違うのかと思うほど、違う。圧倒的な技術力と信頼感がある」

 永末さんの本業はトレーナー。バンデージの道に入るきっかけは、15年ほど前の格闘技大会だった。来日していた米国の著名な職人が、講習会を開いた。できばえを見て驚いた。

 それまで選手のバンデージ検査員として何百も見てきた中で、初めて「美しい」と感じた。包帯とテーピングを何重にも巻くバンデージは、しわがあると、緩みが出てけがにつながる。

 どんな包帯を使っているんだろう。思わず尋ねた永末さんに、職人は言い放った。「俺が20年かけて探し当てた包帯を、どうして出会って5分の君に教えなくてはいけないんだ」

 テーピングの巻き方なら専門学校で習った。自分にもできそうな気がする。「バカにされてばかりだった自分の人生を変えたい」と腹をくくった。

 勉強は苦手で、高校3年間で使ったノートは1冊だけ。小学2年から野球を始めたが、肩が弱くて足も遅い。高校最後の夏は、初戦敗退だった。

進学したのは東京都内の自宅から近く、学費が安いという理由で選んだ専門学校。特に目標もないまま、トレーナーになった。

 「頭が悪い自分は、人よりやるしかない」。300万円超をかけ、国内外から数十種類の包帯やテーピングを取り寄せた。伸縮性や重さ、汗の吸収率に違いがあることを学んだ。

 会場のごみ箱に捨てられたバンデージを拾い集め、海外の映像を見て巻き方を研究。選手に試させてもらいながら、最適な素材と方法を探した。

 「魔法のようだ」。7、8年がたった頃、肉が大好きだったことから付けられた「ニック」という愛称とともに、その手腕が選手の間で評判になった。

 世界4団体統一に成功した24戦無敗の井上尚弥選手(29)、那須川天心選手(24)ら一流選手が、「命」である拳を預けてくれた。

 2019年12月31日のボクシングの世界戦。別の選手を担当していたのは、あのアメリカの職人だった。

 この道に入るきっかけをくれた感謝を伝えた。包帯の種類を聞いた日から15年、今では選手のどんな要望にも応じられる。本場の米国の試合で、検査員から「初めて見る巻き方だ」と驚かれたこともある。

 重さは片方で100グラムほどしかなく、試合中はグラブに覆われていて見えないバンデージ。そこに傾けてきた情熱は、世界一だと自負している。

 「誰でもできることを、誰もできないくらいやる」と決め、今も新たな包帯を試し続けている。動画での研究も欠かさない。

 拳一つでのし上がっていく厳しい世界。けがを理由に、リングを去る選手を数多く見てきた。悔いを残すことなく、思い切りパンチを打ってほしい――。

 だから今日も、自分を頼ってくる選手のため、試合前の30分に全てを懸ける。(矢野誠、おわり)

読売新聞掲載内容です。
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