

2025.12.18
皆さん、こんばんは!
2025年ももう少しで終わりですね。
1年を振り返ってみて、
・本当にこれでよかったのか
・間違っていないだろうか
と、後から不安になることはありませんか?
最初は確かに納得していたはずなのに、時間が経つにつれて、自分の判断や感覚を信用できなくなっていく。
これは性格の問題でも、自信不足でもありません。そこには、ある共通した状態があります。
今日はそんな「自分の感覚」を疑い始める理由についてお話しします。
人の感覚は、他人の意見や情報から離れている時間に、ゆっくり形づくられます。
・静かな状態で
・考え
・感じ
・選ぶ
このプロセスを経ることで、自分の判断に対する納得感が生まれます。
ところが現代は、決めた直後から
・他人の反応
・別の選択肢
・比較材料
が一気に流れ込んできます。
その結果、感覚が定着する前に、揺さぶられてしまうのです。
自分の感覚に確信が持てなくなると、人は外に正解を求め始めます。
・誰かがどうしているか
・どちらが合理的か
・失敗しない選択はどれか
この状態では、判断はどんどん「安全寄り」になります。
そして皮肉なことに、安全寄りの判断ほど、後から満足感が下がりやすい。
なぜならそこには「自分で選んだという実感」が薄れているからです。
情報は多ければ多いほど良い、と思われがちですが、感覚に関しては逆です。
選択肢や比較材料が増えるほど、脳は評価モードに入り、感じるより先に、測ろうとします。
その結果「どう感じたか」より「どう見えるか」「どう説明できるか」が優先されてしまう。
感覚が鈍るのは、感じる力が落ちたのではなく、評価が前に出すぎた状態とも言えます。
誤解されがちですが、自分を信じられる人は、迷わない人ではありません。
迷った上で「それでもこれを選ぶ」と決められる人です。
その違いを生むのは、判断の速さではなく、判断のあとに、自分の感覚と一緒にいられるかどうか。
感覚を信じるとは、「正解を当てること」ではなく、「選んだ自分を置き去りにしないこと」なのかもしれません。
自分の感覚を疑い始めるとき、私たちはたいてい、情報や他人に近づきすぎています。
少しだけ距離を取り、静かに自分がどう感じていたかを思い出す。
それだけで、判断の輪郭は戻ってきます。
感覚は弱いものではありません。
ただ、騒がしい場所では聞こえにくいだけ。
自分の感覚に戻るとは、特別なことをすることではなく、少し静かになることなのだと思います。
年末にそっと「静かさ」を取り戻してみるのはどうでしょうか?